佐賀県のとある小さなまちの取り組み

柳町について

  1. 01 柳町について
  2. 02 柳町のチーム

柳町で商う人々

  1. 仕事ってなんだ?
  2. 01 ものづくりカフェ こねくり家
  3. 02 ハレノヒ柳町フォトスタジオ / 笠原 徹
  4. 03 和紅茶専門店 紅葉 / 岡本 啓
  5. 04 鍋島緞通 織ものがたり / 木下 真
  6. 05 megumi / 森 恵美
  7. 06 minade / 江口 昌紀
  8. 07 よそほひ処 二葉 / 荒川 国子
  9. 08 ステンドグラス工房 グラスパレット / 西村 尚子
  10. 09 くみひも屋 絆 / 池田 ノリ
  11. 10 ブルームーン / 江副 由美子

建築リノベーションとしての柳町

  1. 01 建築資源活用の柳町においてのポイント
  2. 02 建物 改修前、改修後。リノベーションってなんだ?
  3. 03 OpenAの柳町に対する考え方 / 馬場正尊
  4. 04 OpenA 鈴木みのりによる建築的な森永家・久富家
  5. 05 佐賀市役所の仕掛け / 都市デザイン課 武藤英海
  6. 06 古賀銀行 / 音楽イベント、カフェとしての文化財活用

建築リノベーションとしての柳町

  1. 01 建築資源活用の柳町においてのポイント
  2. 02 建物 改修前、改修後。リノベーションってなんだ?
  3. 03 OpenAの柳町に対する考え方 / 馬場正尊
  4. 04 OpenA 鈴木みのりによる建築的な森永家・久富家
  5. 05 佐賀市役所の仕掛け / 都市デザイン課 武藤英海
  6. 06 古賀銀行 / 音楽イベント、カフェとしての文化財活用

面白い入居者を獲得するための下準備
文化財にはしないという決断。

行政と民間の役割分担が大切。
イニシャルは負担、ランニングコストは0。

― あとこれは八女でもすごく課題になっている部分なんですが、最初の改修などは行政なども協力しながら補助金でやるっていうのは、きっかけとしてはすごくいいと思っています。その後、町として自分達で商品を作ったり、まちづくりの事例を紹介した本(『福岡八女福島 まちづくりの記録』)を売ったりして、3割くらいをまちづくりのお金として担保し、そのお金を維持管理費にあてたりとか、団体として民間っぽくやっていく必要があるのかなと思うんですよね。八女もまちづくり第一世代の方々は、強い意志を持ってボランティアでやっている部分も多いけれど、それが次の世代になった時も継続できるような仕組みを作って行かないといけない、ということが現状の課題なんですよね。

おっしゃる通りだと思います。やっぱり稼がないと続かないんですよ。稼ぐために何をやっていくのか?そういう仕組みづくりを町として、やっぱりしていかないといけないですよね。

― 今回のリノベーションのされ方はそういう可能性を残すようなリノベーションだなと思って見ていて、今後動かしていけるような土台が揃ってるなという印象は受けますし、あとは中の人達がどういう風に動いていかれるか?というのは気になっていらっしゃるとこでしょうけども、すごく楽しみなところですね。ちなみに武藤さんご自身は、この柳町のプロジェクトはどういうところに気をつけて進められたんですか?

いわゆる民間じゃなくて、公共なんでね、安全が第一なんですよ。だから「このくらいでよかろう」とか「少しずつ使いながら直していけばいいさ」という風にはならないですよね。ちょっとずつ造作していっていたら、そこで雨漏りしたりとか色々出てきちゃうわけで。まぁ行政というのは、システム的に少しずつの維持管理が下手なんですよね。民間だったら、だましだまし使いながら修復していけばいいや、という風になると思うんですが。維持管理費を、毎年毎年少しずつ出すというのはやはり難しい。補助事業としてもやっぱり1年、繰越しても長くて2年。例えば、10年間で毎年1000万円ずつ、合計1億円で直していきます、というシステムはないし、実際に昔の建物ですので、基準法の制約に関しても行政が責任を持たなければならないですので、目をつぶるということはできない。残すべきとこは残すという方針ですね。壁も一部、昔のところを残したり、タイムカプセルのようなものですよね。竹の組み方とか、どういうつくりをしていたかとか、残せるなら残して保存したい。でも筋交いをいれたり、現代に適合するように処理するところはもちろん多いです。

― 建物の建った年代の調査や、構造の調査などは、どういう専門家の人とされたんですか?

もう亡くなられたんですが、今から20年くらい前、九州芸術工科大学に宮本先生という方がいらっしゃって、「城下町佐賀の環境遺産」ということで、建物の調査だけではなく、川に降りる棚路とかの調査とかもされていて、佐賀市も「歴まち計画(歴史的風致維持向上計画)」を策定するときは、宮本先生に委員をして頂いていたんです。長崎街道を中心に調査しておられて、すごいボリュームですよ。もし昭和30年〜40年頃の、この土地の調査をしっかりしようと思ったらもっと大変だったと思いますけどね、資源がありすぎて。柳町も、もう少し早く対策に乗り出していれば、今よりは建物が残っていたとは思うのですが…。こねくり家さんが入ってる旧久富家は、大正10年に新築されたものなんですね。元々は、城下町全てそうなんですけども、間口で税金がかかっていたので、旧久富家があんな大きく建てられたのも大正だったからなんですよね。旧森永家の方は、明治の初頭から中頃にかけて建てられたものですね。

― 柳町に関しては、都市デザイン課は「作る」という役割を終えられて、観光振興課の方に柳町の管理運営はシフトしたということなんですが、武藤さんとしては今からはどういうスタンスで関われる感じですか?

ま、今のような形で、入居者の方々が話しながら進めていけば、行政がそんな積極的に関わる必要はないのかなと。回っている間はね。ある意味、自分達の独自性というか、独自にこうやりたい、ああやりたいという提案があれば、市としてどこまでやれるかは分かりませんが、提案に対してアドバイスとかサポートはやっていきたいなと思っています。逆に言えば、「困った困った」と言って、うちに来られても困る。より自分達で考えて、解決策を見いだして、その中で行政がお手伝いできるところがあれば、というスタンスです。何でもかんでも行政に、というのはあんまり良くないと思いますので、基本的には内部で話し合いながら、解決方法を模索していく。そういう方々に来て頂けているんではないかなと思っております。さっきのお金の話もそうですけど、そういう意識でしっかりやっていってもらったら、ランニングコストも限りなく0に近づくと。

― やはり町は町で自活できるようになった方がいい、ということですよね。それでは今日はお忙しいところ有難うございました。